一瞬で吹雪の中にいた。
無限回廊の扉をくぐって眩しい光に目を瞑り、一面雪景色だと思った次の瞬間には酷い吹雪に変わった。近くにいたはずのトリスたちの姿が見えない。トリスどころか誰一人として姿が見えない。この真っ白な酷い雪の世界に一人だけ。突如襲われる不安と心細さに、負けてたまるかと歩き出す。周りを見ても扉らしきものはなかった。どちらに向かっていいのかわからないけれど、前へ前へと歩き続ける。どこかでこの吹雪をやり過さなくては。
幸いにもしばらく歩くと吹雪は止んだ。今はゆっくりと雪が舞い降りるだけだ。「!」知っている声で名前を呼ばれた気がして顔を上げる。誰もいない。どこだ?「!」知っている声に安心してしまったのだろう、力が抜けて身体が傾いたが、それを受け止めてもらえた。名前を呼んでいた人物に寄りかかる形になってしまい、誰だろうと顔を上げれば、ワインレッドの長髪が映る。これ、は。「……ルヴァ、イド?」「そうだ。歩けるか?」
肩を強く抱かれて歩き始める。身体を預ける相手がフォルテならまだしもルヴァイドだからか気恥ずかしい。この手を振り払って一人で歩きたい所だが、思考も視界も朦朧としているし、慣れない雪に足と言わず身体全体が重くてだるい。「歩けるか」と聞かれて歩きたくないと答えたいぐらいだが、ここはルヴァイドの前だ。そんなことを言えるわけが無い。「大丈夫、だ」そう答えると「そうか」と小さく声が聞こえた。少し笑ったような、やわらかい言い方だった。なんだかそれだけで安心してしまう。少し前からまた風が出てて雪が舞い始めていた。そんな世界の中でルヴァイドの声一つで安心してしまう自分がとても恥ずかしい。寒いはずなのに、顔とルヴァイドが触れている所だけが熱い気がするのは気のせいだと思いたい。どうかルヴァイドには気付かれませんように。
ルヴァイドに肩を抱かれたまま歩き続けてどのくらい経ったのか。実際そんなに歩いていないのかもしれない。時間も方向感覚も狂っていて、足も先ほどより重いし震えて力が入らないのを気が付いたのか。肩にあった手が腰に回った。どうしたのかと顔を上げたら、「背負ったほうがいいか」と言われて顔を横に振った。「嫌だ、そんなの嫌だ」ぶるぶると首を振っているのを見てルヴァイドが笑った。「じゃあ背負いたいと言ったら?」と再び声が聞こえる。「だ、だめ。重いから」「そうか、残念だ」苦笑して再び前を向いて歩き出した。突然何を言い出すのだろう。こんな冗談を言う人だっただろうか。先ほどから頬が熱くて困る。と、腰に回っていた腕に力が込められてルヴァイドとの距離が近くなる。知らず知らず離れていたのだろうか。歩きにくいかと思って少し離れようとしていたのだが、少しくらい寄りかかっても良いだろうかと思ってしまう。誰も見ていないのなら少しは、と。そっと力を抜いてもルヴァイドは変わらず歩き続ける。少しだけ、腕の力が強くなった気がして、ルヴァイドに抱きしめられているんだと勘違いしてしまいたくなる。
「ルヴァイドさん! さんも無事ですか!」
突然雪の寒さがなくなって春の陽のような暖かさに戻った。アメルが走って来て「大丈夫ですか」と心配してくれている間も、ルヴァイドは腰に手を回したまま歩き続けた。「歩けるから離して欲しい」と言ったのだが離してもらえなかった。「頼むからもう少しこのままでいさせてくれ」と言われて「何でだ」と反論しながら、きっと真っ赤であろう顔を隠すためルヴァイドにくっついてやった。歩きづらそうだと思ったので直ぐやめたけれども。座りやすそうな岩の所でルヴァイドは丁寧に下ろしてくれた。「ここで休んでいろ」と言って頭をくしゃりと撫でた。その手を両手で捕まえて「ありがとう」と声に出したはずなのだが、擦れてしまっていた。でもルヴァイドは口の端を上げて笑った。その笑顔を見てドキリとした。それを知ってか知らずかルヴァイドはネスティに「あとは誰が戻ってきていない?」と問いながら歩き出していた。
「回復します」と手をかざしたアメルに「休んでれば動けるようになるから、アメルも休みなよ」と止めた。何人か疲れて座り込んでいるのを見て、アメルは力を使い続けていたと思う。アメルは困ったように笑って「そう、ですね。休みましょうか」と二人で岩に座ってぼんやりとする。ただ二人で座っているだけなのに、のんびりとした流れに癒される。先ほどまで雪の中にいたのが嘘のようだった。
「おう、。いつ来てたんだ?」フォルテだ。酔っ払いのようにニヤニヤしながらやってきた。「さっき着たばかりだよ」「そうだったか。アメル、休んでるところ悪いが、向こうでトリスが探してたぞ」「トリスさんが? ありがとうございます」ああそうだとアメルが赤いマントを肩にかけてくれる。「あとでルヴァイドさんに渡しておいてください」それではーとぱたぱたと走っていってしまう。それをフォルテと二人で見送って、フォルテが空いている場所に腰掛けた。
「なんだかルヴァイドがようやく落ち着いたって感じがするな」「どういうこと?」フォルテから差し出された水を飲みながら聞いた。フォルテと一緒に遠くでネスティと話しているルヴァイドを見る。「最初俺とイオスとアメルとルヴァイドでここに着いたんだが、雪の中に行くのは慣れている奴がいいと言ったのはルヴァイドでな。あいつ、お前を一番に助けたかったんじゃないのか?」「なんでそう思う?」「お前が見つかってからだと思うが、いつもの余裕が出てきた。さっきまでほんと酷かった」殺気立ってたというか目で人が殺せそうだったぞとフォルテが笑う。冗談だと分かってはいるが、ルヴァイドが黒の旅団を率いていた頃を思い出して震えた。彼の前に立つだけでもとても勇気が要ったのを思い出したからだ。笑い事にならない。だけど。だけど、それが本当なら――嬉しいと思ってしまう。期待してしまう。「きっと気のせいだよ」期待してしまうけれど、でもそれはないだろう。気のせいだと言い聞かせるも、ルヴァイドの腕の中にいた時の温かさを思い出してしまって、顔が熱くなる。熱くなるけれど、ただの仲間だ。フォルテがいうような感情をルヴァイドが持っているわけがない。「適当なこというのやめてほしい」
ルヴァイドと目が合った。ふわりと笑ってこちらに向かって歩いてくる。「フォルテ、シャムロックが帰ってきたら行くぞ。……歩けるか?」前半はフォルテに、後半は私を見ながら言う。フォルテは「おう」と返事をした。私も慌てて「歩ける、大丈夫」と言って、はたと気が付いた。「ルヴァイド。これ、ありがとう。アメルから渡されたんだけど、勝手に使っちゃってごめん」とルヴァイドにマントを手渡すが、彼はそれを広げて私の肩にかけてくれた。「もう少し使っていろ。顔が赤い、風邪をひかれては困る」とからかうように言われる。「な……! そ、それはフォルテのせいでっ」キッとフォルテを睨むと、しゃがみこんで笑い転げている。「フォルテもをからかって遊ぶのは程々にしてくれ。警戒されてやりづらい」去り際にルヴァイドはそう残して、私とフォルテ、二人して固まった。