ずっと思い出したかった言葉、ずっと言いたかった言葉がやっとわかった。
思い出せてもそれを伝えるか、伝えないか。
そう悩んだが、伝えられないということの苦しさを知ってしまった。
だから伝えよう。
でもどうやって……?
それが問題だった。
「モナティ、おはよう」
「おはようですの、マスター」
同じ部屋に寝泊りしている護衛獣に、笑顔で挨拶をする。その護衛獣−モナティ−も微笑んだ。
モナティが身支度を済ませている間に、部屋に置いてある小さな手鏡を覗き込む。
「おはよう。―― ちゃんと笑えてるよね」
ちょっと照れくさくなって「へへ」と笑えば、こちらを見ていたモナティが一緒に笑ってくれた。
マグナがアメルと、トリスがネスティと再会できて数十日が経った。仲間全員にアメルとネスティの目覚めを知らせ、既に何人かとは再会を楽しんだ。
しかしその何人かの中に私の探す彼はいない。まだ自由騎士団の件で忙しいのだそうだ。それは一足先に上司たちに言われてやって来たイオスから聞いたものだ。それでも数日の内には来るということもイオスから聞いていた。
「無理はして欲しくないんだけどな」
先に顔を洗っておいでとモナティに言ったから、この部屋には私一人だ。
会えるということは分かっている。今日かもしれないし、明日かもしれない。
会えたらちゃんと笑えるだろうか。毎日鏡で微笑む練習はしているし、常に心がけている。
会えたら何て言おうか。『久しぶり』じゃ何だか他人行儀な感じがする。
かといって『久々に会えて嬉しい』も無理だ。恋仲だったわけでも、特に仲が良い訳でもない。
ただの仲間の一人としての挨拶は何なのだろう。
前はこんな思いしなかったのに。
そう思うと苦笑いになる。
こんなに悩むのは、毎日顔をあわせていたのに突然会わなくなってしまったからというよりも、全部思い出してしまったからだろう。
私はこの世界の人間ではない。元の世界でゲームの中の人物として会っていたのに、何故かリィンバウムに来てしまった。それからレイムに元の世界の記憶を全て持っていかれてしまい、返して貰えたのはレイムを、いやメルギトスを倒してからだ。
それから2、3日はまだ皆一緒だったのだが、それぞれ思い思いの生活に戻っていってしまっていた。彼らも早い方だった。朝早くから夜の遅くまで外出し、中々会えなくなっていった。その内にこの家にも帰ってこなくなってしまったのだが。
なるべく静かに階段を下りながら、目が覚めるようにと両手で両頬を軽く叩く。
モナティと擦れ違いで顔を洗って鏡を見つめ、笑顔笑顔と心の底から願う。
頑張ろう。
にこりと鏡の中の自分が微笑んだ。
笑顔笑顔と念じたまま、先にモナティが向かったはずの広間へと向かう。
すると広間からひょっこりモナティが顔を覗かせ片手を振って楽しそうに喜ぶ。
「あ、マスター 速くはや―― 」
「モーナーティー! 秘密だっていったでしょう!」
しかし、モナティの言葉は言い終わる前にトリスによって止められる。トリスは両手でモナティの口を塞ぎ、モナティは喋れないながらも必死で喋ろうとする。それをレシィが慌てて止めに入り、バルレルはにやにやと笑いながら見ている。マグナはどうしたものかとレオルドと一緒に困っているし、ハサハにいたってはマグナの服の裾を掴んでただじっと見ているだけだ。
「何してるの。トリス、モナティ」
広間の前まで来るとトリスは「あはははは」と笑い、モナティを引き摺ったまま部屋の奥へと移動した。
その時瞳に映ったのはワインレッドの髪に黒の上下を来た人。
「久しぶりだな、」
そう言ったのは普段この家に居ない人物だ。
「……ルヴァイド」
会っていない時間はそんなに長くは無かったはずだ。それでも懐かしいと感じて、目の前に居る彼が本物かどうか、信じていいものか戸惑った。もしかしたらまだ自分は夢の中に居るのではないかと思うほどに。
「どうした」
そう言いながら少し不思議そうな顔をする。ああ、本物だ。
「ひ ―― ひさし……」
声が出ない。目元が急に熱くなって、鼻もつーんとしてきて、口も変な風に歪んでしまいそうなのを両手で顔全体を覆って隠して俯いてしまう。
「」
ルヴァイドの少し慌てた声が聞こえる。ずっと聞きたかった、ルヴァイドの声だ。
「ルヴァイドさん、マスターを泣かせちゃ駄目ですの!」
「モ、モナティ!」
あわわわと慌ててトリスは再びモナティの口を塞ぐ。「もぎゅ」と声を出しながらモナティは黙ってしまう。
「、どうした。」
「な、なんでも……ない」
顔を隠していた両手はルヴァイドによって外されてしまう。泣いていたことに少し驚きながら、片手で涙を拭おうとしたのだろうか。
伸ばされたルヴァイドの手。
その手を私の両手で包み込むように、触れた。
自分の手よりもしっかりしたその手。
「ありがとう」と呟いた。
今なら何でも言える気がした。
息を吸い、口を開く。
ふと顔を上げて見れば、ルヴァイドは驚いたような顔をしている。やっぱり恥ずかしくなって顔を下げれば、両手でルヴァイドの手を握っていたことに再び気が付く。
「ご、ごめんなさ――」
慌てて謝りながらルヴァイドの手から両手を離す。しかし今度はルヴァイドの手に包まれる。
「いや、謝らなくていい」
なんで?
そう不思議になってもう一度顔を上げれば、ルヴァイドの顔がすぐ近くにあった。
「遅れてしまい申し訳ありませ―― あ」
その言葉を止めたのはシャムロックだった。その隣にはイオスもいる。特にイオスはルヴァイドが私に触れている手を見てか、慌てたが遅かった。
「ひ、ひさしぶりー! 二人とも、元気だった?」
慌ててマグナが話し出す。トリスは未だにモナティを捕まえたまま突然の訪問者を呆然と見ている。それはこの部屋に居た人物の大半が同じであった。
私は今更ながら、手を握られたことに頬が熱くなった。やって来たシャムロックたちに赤くなってしまったであろう顔を見られないように、ルヴァイドの手に力が入っているため手が離せないから俯いてしまう。
するりと触れていた手が離れたが、急に心細くなってしまう自分に気がついた。
それを知ってか知らずかルヴァイドは私の頭を軽く撫でた。その手の温かさに少し安心した気分になる。
ありがとう。
もう一度、呟いた。