呂蒙殿から頼まれた仕事や、大史慈殿や蘭丸たちとの手合わせを終えた。
呉にいた面々はこちらに来てから不思議に力や技術や速さを身に付けていた。悔しい。その強さが欲しい。
手合わせの熱を下げるためにふらりと歩き出す。
それでも思い出すのは悔しさばかりで、気が付けば傍にある大きな木でセミが鳴いていた。
そっと木に触れてみる。
「やっぱり本物だよね」
遠呂智が作った世界だと分かってはいるが、何もかもが元居た世界と似ているのだ。
本当はこれが夢で、目を開けたら呂蒙殿と手合わせをしていたなんてことがあるのではないかと思う。
そういえば以前の手合わせの時にこんなにも悔しいと思ったことがあっただろうか。
あの力すらも遠呂智の力なのか。それもと夢なのか。
夢として片付けるには、色んなことがありすぎたのだが。
セミの声を聞いていたら余計暑くなった気がする。
喉を潤しに行こうと、再び歩き出した。
布切れで額から流れる汗を拭っている孫策様を見つけた。
足元に孫策様の武器もあるし、だれかと手合わせでもしていたのだろうか。
でも誰と? 見た限り周りに他に人は見当たらない。
ふと孫策様と目が合った。
「おう、! 手合わせでもしようぜ!」
ぽいと手に持っていた布切れを放り投げ、孫策様が微笑んだ。
その様子に思わず笑ってしまう。
「はい、喜んで!」
剣を鞘から抜いた。
孫策様も両手にトンファーを持った。
「そういやと手合わせするのは久しぶりだな!」
「向こうにいた時は良くしましたよね。呂蒙殿に手合わせを頼んだはずなのに、何時の間にか孫策様とやることになってたりしましたし」
「はは、懐かしいなそれ」
懐かしい、か。
陸遜は元気だろうか。
甘寧や凌統も無事だといいのだけれど。
「あのさ、思い出したから言うんだけどよ」
「はい」
おやと思えば、先ほどの笑顔とは打って変わって真剣な表情だ。
何かしてしまったのだろうか、不安になる。
「お前、もっと我侭言っていいんだぜ」
「え?」
「呂蒙には遠慮せずに手合わせしたいって言ってるだろ? 俺にだって言って良いんだからな。……さっきだって、手合わせしたいって顔してた」
「私、そんな顔してたんですか」
「ああ、思いっきり。今は俺しか居ないんだから、前に気にしてた身分だとかどうとか、やめろよ」
「そ、孫策様がそういうなら……」
え、なんだろう。この展開。
とても嬉しいけど、とても心が苦しくて、言葉に言い表せない。
恥ずかしいなと思って少し俯いてしまったが、孫策様は気が付かない振りをしたのか武器を構えた。
「わりいな、突然こんな話して。さあ、いくぜぇ!」
慌てて前を見据えた。
気持ちが、騒ぐ。
落ち着いて相手の行動が読めない。
早く落ち着きたいから一気に片を付けてしまおうかと思ったが、相手は孫策様だ。
ああ、でも。
心行くまで戦えるのなら、一気に片を付けてしまうにはもったいない。
孫策様が走り出した。
剣、両手に持つが少し震えるが、力を入れて待ち構えた。
孫策様が、笑った。
視界の端で、何かを見つけた。
建物の影から、自身の身の丈ほどある太刀を担いだ左近が出てきたのだ。
あまりのタイミングの良さに驚く。
と、孫策様との距離があっという間に詰められる。
「孫策さん。周瑜さんが探してましたよ」
ぴたり、と孫策様の武器が剣に触れる寸前で止まった。
「やべぇ、忘れてた」
「ずいぶん待たせてたみたいですね」
孫策様の武器が、離れた。
「わりぃ、。手合わせはまた今度でいいか……?」
残念そうに孫策様は言うが、本当は先ほど武器を止めないで欲しかった。
あのまま打ち合いたかった。
そう、告げたいが。
唇が、震えている気がする。
自分は孫策様の部下だし、周瑜様は怒るととても怖いのだ。
いくら『我侭言っていい』と言われた後だとは言え、言えることと言えないことがある。
剣を下ろして鞘にしまう。
「はい、その時はお手柔らかにお願いします」
「おう!」
孫策様が笑った。
その笑顔が嬉しくて、私も笑顔を返した。
「待ってますね」
「誘いに来ていいんだからな」
じゃあな、と手を振って孫策様が走り出した。
孫策様が離れていく。
心もだんだんと冷めていく。
鞘に収めた剣の柄を、強く握り締めていた。
相当孫策様と手合わせできなかったのが悔しかったのか。
また今度、手合わせが出来るはずなのに、何でこんなにも悔しいのか。
もしかしたらこんな機会はもうないのではないかと思っている自分の心の弱さを呪った。
実際遠呂智の世界に来てずいぶんと経つのに、こうしてゆっくりするのは初めてなのだ。
ずっとあっちに行ったりこっちに行ったりと行軍続き。
仲間と手合わせをすれば自分の未熟さが際立ってそれが嫌で手合わせと訓練の繰り返し。
そうして訪れた久々の孫策様との手合わせのはずが、突然無くなった。
「どうしたんです。そんなに手合わせがしたかったんですか」
隣に居た左近が目を合わせてきた。
握り締めていた柄のことを言っていたらしいと気が付いて、慌てて手を離した。
「なんでもないです。私も失礼します」
「ちょっと待ってください」
その場から逃げるように立ち去ろうとしたら、むんずと手を掴まれた。
思わず「うわっ」と声を上げて、左近の手を離そうとぶんぶん大きく手を振るが離れない。
「なんですか」
「さっきまで俺が手合わせしてたんですよ」
誰と、とは聞かなくても分かったが、それにしては変だと思う。
だって目の前のこいつは涼しそうな顔をしている。
孫策様はあんなに汗をかいていたのにもかかわらず、だ。
この場から離れていたのと何か関係があるのだろうか。
「どちらが勝ったんですか?」
「さあて、どっちだと思います?」
「もちろん孫策様ですよね?」
「さあ?」
はぐらかされている。
腹が立って、再び手を離そうとぶんぶん振った。
それでも、離れない。
「性格悪いって言われません?」
「言われませんね」
「ちょっとっ!」
目の前の男に空いていたもう片方の手も掴まれて叫んだ。
「手合わせしてみます?」
「いやだ。遠慮する」
「さっきお預けにされて悔しそうにしてたじゃないですか」
「ま、またそんな顔してました……?」
あんたも言うか。
……そんなに分かりやすい顔してたのか。
「とにかく、それはそれ、これはこれです。それに孫策様とはずっと手合わせしてなかったし」
「左近とは一回もないでしょう」
間髪入れずに返される言葉に、だんだんと言葉も荒くなっていく。
ああもうここから逃げ出したい。
とりあえず手は離して欲しいのに。
「孫策様とは立場が違いすぎたから、中々手合わせしたくても出来なかったんです」
「で?」
「でって言われても……、孫策様はお強いし、憧れだし……」
「だから小覇王に勝った俺にしときましょ?」
「え、勝った?」
左近を見上げた。笑っている。
「孫策様に、勝ったの?」
「そう言ったはずですよ」
うそだあ。
「まあそんな顔しないで」
「……今どんな顔してました?」
「左近が勝ったことを信じてない顔でした」
「……まったく持ってその通りです」
勝った、のか。
孫策様は強い。
強いが、左近も強い。
そんな強い相手、孫策様が勝てなかった相手に私がどこまで出来るか、試したい。
その気持ちを見透かされたかのように左近は口を開く。
「強い相手と、戦いたいんでしょ?」
「? なんでそれを知って……」
呂蒙殿から聞きました。なんてさらりと返される。
何伝えてるんですか呂蒙殿!?
「それに、左近はが欲しいです」
近い、近いってと逃げながら、いつの間にか自分の両手が左近の片手一つでまとめられている。
手を離させたいのに、今目の前のやつが言ったことが信じられなくて、左近を見た。
「な、何言ってるんですか」
「いや何、先ほど小覇王さんが言ってたじゃないですか。『我侭言っていい』と」
「それは私が言うのであって、あんたじゃないです」
「じゃあ、はどうしたい?」
どうしたいってどういうことなのか。
手合わせの話はどこに行った。なんで名前を呼ばれてるのか。欲しいってどういうことだ。
ぐるぐるし出したのを見て左近が笑った。
「この夏の間に決めますから。だから、覚悟しててください」
手を離された。左近の熱が離れて、ほっとした。
熱さでか、頭がくらくらする。胸が苦しい。
一方的過ぎる。人の話をちゃんと聞いて欲しい。
今戦って勝てる気が、しない。
「決めるまでに一回ぐらい手合わせもでするということで、今日は手を引きますよ」
「――……やれるもんなら、どうぞ。楽しみにしてますから」
さらりと出たそれは、本心からの言葉。
負けてたまるか。