ひょこ。と、見覚えのある髪が視界の端に引っ掛かった。
もう建物の影に入ってしまったが、あの髪は。
慌ててその人に追いつこうとする。
建物を曲がった所に。
「呂蒙ど……のっ!?」
白くて長い上着だった。
髪は高い位置で一つにまとめられていたが、その姿は、左近だ。
「お、やっぱりこっちで釣れましたね」
「ふぇっ!?」
にこにこと笑いながら、がしっと腕を掴まれてしまい驚いた。
「ちょ、ちょっと! 釣れたってなんですか。触らないでください」
「まあついて来て下さいよ」
掴まれたままの腕が引っ張られ、どこかへと向かう目の前の男の後を追う。
……最悪だ。
「どこにいくの?」
「あんたもよく知ってる人のところです」
「よく知ってる? 孫策様? 私呼ばれてました?」
何度か問いかけたが、笑って誤魔化された。なんだそれ。
* * * * * * * * * *
「思ったとおり、こっちで釣れましたよ」
とある部屋の襖を開けて、左近が先に入った。後に続いて入る。
「……え、呂蒙殿? ど、どうして髪を下ろしてるんですか?」
「左近がやってみろと言ってな」
苦笑いしている呂蒙殿の隣に左近が座った。
呂蒙殿の髪は耳の上までの髪の毛をまとめて後ろで結って、それ以外の髪は下ろす。
左近は髪を高い位置で一つに結っている。
いつもの髪型をを交換したような二人。
なんだかしっくりこないというか……似合わない。
呂蒙殿はいつもみたいにすっきりした方が良いと思う。
「呂蒙殿は呂蒙殿の髪でいてください」
呂蒙殿がそれがいいというのなら止めはしないけれど、今回のこれは左近が言い出したのだろう。
だって先ほどからずっとニヤニヤしている。
こんな変なことに呂蒙殿を付き合わせないで欲しい。
そう、面と向かって言えれば苦労はしないのに。
きっと左近を見た。相変わらずニヤニヤしている。
呂蒙殿はどうしたものかと困ったような表情をしていた。
そうだ。
「私が直しますね」
きょとんとした呂蒙殿の後ろに回って紐を解こうとしたら、呂蒙殿が逃げた。
「いや、自分でやる」
「えーそうですか? 残念です」
顔を真っ赤にして言う呂蒙殿が可愛いなと思って笑った。
ふと気が付けば左近がじっと人のことを見ている。
「そこ、そんなに見たって、あんたのはやりませんからね」
「なら暫くはこのままでいましょ?」
「それは困るので止めて」
「じゃあ結い直してください」
「少しは呂蒙殿を見習ってくださいよ。子どもじゃあるまいし」
「俺が見習って真似をしたら、分からなくなってしまう人が居るんでね、遠慮しときましょ」
「こいつ!」
『分からなくなってしまう人』というのが、自分のことだと気が付いた。
初めて左近を見た時も、その後も、今回だって(髪形を変えただけで)間違えているからだ。
かっとなってニヤニヤと笑う男を殴ろうと拳を振り上げたら、その腕を呂蒙殿に掴まれた。
「左近、そこまでにしておけ」
呂蒙殿、髪がいつものに戻っている。
は、はやくないですか?
というか何だか真剣な表情がちょっと怖い、かな。
左近もニヤリと笑ってはいるが、目が本気だ。
こちらも怖い。
それにしても、呂蒙殿はやっぱり大人だと感心した。
まったく、それに対してこの男は!
呂蒙殿に言われても、左近はじっと見てくる。
その視線が。
……つらい。
「……わかりました、やればいいんでしょ!」
渋々そう言えば、左近は笑った。
後ろに回って、紐を解いた。
いつもどんな感じで髪を結っているのだろう。
しかし、この男……。
「どうした?」
「やり難いほどサラサラですね」
纏めようにも纏まらない。
サラサラと掌からこぼれていく。
「もでしょ」
「へ?」
振り替えった左近が手を伸ばして、髪に触れた。
「わ、ちょっと振り向かないでっ!」
顔近い、顔近い!
顔を背けたら、髪に触れていた手が首に来た。
「ぎゃっ!」
「左近」
気持ち悪くて叫んだら、それまで黙っていた呂蒙殿が左近の名を呼んだ。
「……俺も髪を結ってやろうかと思ってね」
髪を結っていた紐が左近の手によって解かれた。
首に髪が触れて、くすぐったい。
そう思っていたら、左近の大きい手が髪を纏めはじめた。
うう、こわい。
「……も、そんなに怖がることはないだろう。左近が怖いのか?」
「りょもうどのだってわたしからにげたじゃないですかー」
返答に詰まった呂蒙殿を見て、背後で左近が笑った。
「ほら、出来ました。お揃いにしたかったんですがね……こっちのがあんたに似合ってる」
そう言いながら左近が顔を覗き込んできた。
恥ずかしくって顔が真っ赤になりそうだ。いや、もうなってる。
慌てて俯く。
「お揃いなんかにしたら殴り飛ばしてました」
「そうだと思ったんでやめたんですよ」
そういえば、と見れば左近の髪は結われていない。
紐は私が持っていたかと手を見たが、ない。
畳の上に落ちたかと思って見るが、やはりない。
失くした、か?
「紐ならここだ」
すっと伸びた左近の手が、私の髪に触れた。
触れた場所は、先ほど左近が髪を結った位置だ。
「え、じゃああんたはどうするの?」
「まだ他に手持ちがあるんで気にしないでください。それ、良いお守りでしょ?」
一瞬何を言われているのか分からなかった。
分かった時には、殴りたいだとかそんなことはどうでもよくなった。
いや、どうでもよくはないんだけど、とりあえずそんなことよりも。
「そんなの知りませんっ! 失礼します」
慌てて呂蒙殿に挨拶をして、その部屋から飛び出した。
結われている髪が、紐が揺れる。
それだけで、苦しくなる。
暫く走ってから、体を壁に預けて座り込み、鏡を見た。
いつもと違う自分が、そこにいる。
これをあいつが結ったのだと思ったら。
見る見る内に顔が赤くなった。
だけどそんなのを認めたくなくて、もう暫く走って誤魔化そうと立ち上がった。
そう、これはきっと気のせい。