「それじゃ、これから作業するんで敵は任せましたよ」
「護衛が欲しいんだったら、始めからそう言えばいいじゃないですかっ!」
山田山、と呼ばれているらしいこの砦まで馬に乗せられたまま連れて来られた。
先に馬から下りた左近に手を差し出されたが、それを拒否して馬から飛び降りる。
左近の到着を待っていたかのように数人の兵士がやって来て話し始めてしまう。
それを横目で見ながら、ため息を付いた時だ。
前方から武器を持ってやってくる人たちがいる。気を引き締めながら、剣を鞘から抜いて構える。
近くまで来て、あと少しと言うところで敵が立ち止まった。こちらから行くには分が悪い。
さてどうするか。悩みながら、砂利の音を僅かにさせつつ近づいていく。
これで相手との距離を縮めればいけるのか。人数の差はそれで埋まるのだろうか。
不安になったが、やらなければだめだ。
視界の端で数人が私の後方の方へと走っていくのが見えた。
あれは敵だ。後ろに回りこまれるのかと心配したが、そうではなかった。
数人の兵士達がやって来て、前にいる敵兵と向き合った。
「ごめん、まかせた」
そう言い置き、振り返って走り出した。
だって先程左近が言っていたではないか。
敵は任せた、と。作業する、と。
やはり思った通り、先程視界の端で捕らえた兵士は左近らの方へと走っていた。
「待て!」
声をかけたらその兵士は、私から逃れようと今までとは違う壁の方へと走り出す。
「待ちなさいってば!」
敵は他にもいたし、相手は逃げたのだから追いかける必要だってそんなにない。
分かってはいたが、何故か止まらなかった。
二メートルぐらい先の壁に亀裂が入った。
兵士はそれに気が付いたらしく、立ち止まって壁を見上げた。
卑怯だとは思いつつも、剣を突き出した。
「和奈!」
名前を呼んだのは誰か。
壁に亀裂が入って青い空が見えた。
そう思ったら熱い風が壁の破片と共に速いスピードで飛んでくる。
思わず左腕で顔を覆うがその腕にも身体にも破片は次々とぶつかってくる。
兵士のことも忘れて地面に蹲ろうとした時に破片がぶつからなくなった。
丁度壁との間に誰かが入って、しっかりした腕で身体をきつく抱きしめられたからだ。
突然のことにされるがままにしていたが、すぐ近くで抱きしめている人物が溜息を吐いた。
急に怖いと思った。誰に抱きしめられているのかわからないからだ。
「いい加減に放しなさい!」
怖くてきつく目を瞑ったままでも出来る。胸元に入っている短剣に手を伸ばす。
しかしその手は隣にいる人物に止められてしまう。
振り払おうとしても、相手の手が離れる気配が無い。
目を開ければ、自分の手を掴む隣の人物の手が見えた。
自分の手よりもずいぶんと大きい手に、怖ろしいと思ってしまう。
「待った、待った。俺ですよ、俺」
耳の近くで聞こえた声に驚いた。
聞いたことがあるが、誰、だ?
低くて落ち着く声。
頭の中が真っ白になって、その中で唯一いるのは自分の上司だけ。
でもそれとは違う、声。
…………落ち着く、だと?
「俺だろうが、誰だろうが放して!」
「まあ落ち着いて」
私の腕を押さえていた左近の手は、そのまま腰に回った。
今戦いの最中だということを忘れたのか。何だってこんなに親しそうにするんだ、こいつは!
「本当に今すぐ放さないと本気で殴りますよ」
「俺がそれを避けられないとでも?」
両腕で必死に左近との距離を開けようとするが、左近の腕が離れない。
きっと楽しそうに笑っているのだろう表情を見るのが嫌で、頑なに左近の顔は見ない。
何だか気が可笑しくなってきた。このままこの中に居たいだなんて考えちゃだめなのに。
回されている腕に、手を置いた。
「ん?」と声がして、自分がしたことなのに恥ずかしくなって手を放す。
いろんな意味で泣きたくなった。
「おーい、左近! 壁を壊すなんてすげえな――……ってわりぃ、邪魔した」
「わ、ちょっと孫策様! 助けてー、見て見ぬ振りしないでー!」
「そこまで嫌がられるとさすがの俺も傷つきますね」
孫策様が来たことでようやく左近が離れた。
開放された安心感に深いため息を付きながら座り込んだ。
安心した心とは裏腹に、腰にあった腕の暖かさが消えていくのがとても怖かった。
両手で自分を抱きしめても、暖かくなることはなかった。
* * * * * * * * * *
孫堅様が捕らわれている。他にも呉の仲間が人質として捕らわれている。
孫策様は人質を解放させる為にこの戦いをしている。
そのことをやっとのことで聞き出した。
それから思いつく限りの悪口を言いながら走った。
悪口とはいうが、実際遠呂智を知らないためなんとも微妙な言葉ばっかりだったが。
「あ、れ? 凌統殿」
「へえ、もそっちにいたんだ。丁度良い、少し付き合いなよ」
そう言いながら凌統は走って来た。慌てて剣を前に構えて凌統の武器を止めた。
「は? わ、ちょっ!」
速い。
気を引き締めて、何合も打ち合う。切り替えしが速い。
何時の間にこんなに速くなったのか!
焦ってしまい打ち合うタイミングがずれた。しまった、と思った時にはもう遅かった。
「このまま引いてくれないかい?」
目の前に凌統の武器がある。顔の本の少し前で止まっている。
「……私は皆を助けたいから無理。後ろにいる人たちも同じだと思うよ」
凌統の視線が私の後ろを見て、目を真ん丸にして慌てて飛び退く。
飛び退いたと同時に孫策様がトンファーをぶん回しながら飛んで来た。
「よう、凌統! 元気にしてたか!」
なんとなく予想はしていたが、実際にやられるとトンファーに当たるかとひやひやしてしまった。
おや、と見れば凌統が背にしていたはずの扉が開いている。
「小覇王から伝言です。先に扉の向こうに行っててくれ、だそうです」
「うわぁっ!」
何時の間にか隣にいたことに驚けば、左近は嬉しそうに、楽しそうに笑った。
「なんで笑うんですかっ!」
「頬、怪我してますよ。今度から気をつけてくださいね」
言われて見れば、頬が何だか痛い気もしなくもない。
途中で凌統のヌンチャクをぎりぎりで避け切れてなかったのだろうか。
痛むような痛まないような。
少し動かしておけば気にならないかと、両手を両頬に当てて動かす。
顔も動くことにしばらくして気が付いた。
目の前の男が笑いを堪えている。むっとして怪我の部分を袖で拭おうとしたら、腕を掴まれた。
左近の手が、頬に来て、「ここです」と触れた。
顔がばっと熱くなったことに気が付いた。
左近の手を払いのけて、扉へと走る。
扉を超えて、目の前の敵に怒りをぶつけるかのように剣を振った。
それに並ぶように左近がまた来た。
「隣に来ないでよ、危ないでしょう!」
「俺が先に行って、道を開けますから」
そう言って、悠々と歩き出した左近。
悔しいけど、左近の太刀のが範囲は広いし、威力もあるしで、勝ち目がない。
それに先程凌統との戦いで少し息が上がっていた。
ばれないように、息を整えながら後に続く。
ふと、何だか目の前がぐらついて、きつく閉じた。
目を開けなくちゃ怖いのに、怖いのに開けられなくて。
それでも見ない怖さより、傷つけられる怖さのが勝って目を開けた。
武器を振るう人がいる。
武器を振るい終えたら、近くの誰かに何かを指示しているような動作をした。
この人になら、ついていける。
目の前にある、大きな背中に。
恐る恐る手を伸ばした。
「どうした」
返って来た声は、誰のもの?
* * * * * * * * * *
「お許しあれ!」
「おい呂蒙、気にすんなって。無事でよかったぜ」
ひたすら頭を低くする人に、その人を安心させようと肩を叩く人。
迷わずひたすら頭を低くする人に、狙いを定めた。
「りょもうどのー!!!」
「おわっ」
勢いが良すぎて押し倒してしまったが、そんなものは後で謝る。
それよりも!
「うわあー、ご無事そうでなによりですー! ああ、でも何だか少し細くなられましたか? うう、遅くなってしまい申し訳ないです」
「お、落ち着け、」
涙が溢れ出して止まらない。心がきゅうっと締め付けられて痛い。
呂蒙殿が解放されたと聞いてからずっと泣きっぱなしだ。
だからきっと顔がぐちゃぐちゃになっているだろうと簡単に予想できる。
そんな顔を見せないように、必死に呂蒙殿にしがみ付いてた。
そうしていたら呂蒙殿が頭を撫でてくれるようになって、余計に安心して泣き続けてしまった。
きっと呂蒙殿は内心焦っていただろうけれど、それも後で謝る。
ああ、本当に呂蒙殿なんだ。って思ったらとても安心した。
「あんたが呂蒙殿かい?」
突然体が強張った。顔を呂蒙殿に見られないように、少し離れてから涙を止めた。
それでも溢れる涙は袖で拭く。
「ほら、それじゃあ目が赤くなっちまう」
腕を押さえられて、左近の手が近づいてくる。
その手を反対の手で掴んでとめた。が、左近のが力が強い。
「触らないで。また殴るよ」
「いや、実際さっきだって当たってないわけだし」
にやにやして喋るから、余計に腹が立つ。やっぱり殴ろうと拳を作るが、また左近に抑えられる。
「う、うるさいっ! いいですか、呂蒙殿! この人ってば酷いんですからね、信用しちゃだめですよ!」
「それじゃあ俺の第一印象が悪くなっていくでしょうに」
「そんなの自分で何とかしてください。知ったことじゃありません」
聞いてますか、呂蒙殿!? と振り向けば、とても困ったような顔をしていた。
ふむ、と呟いてから話し出す。
「……まあ、何だ。俺の部下が世話になったようだ。迷惑かけてすまないな」
「なっ! なってません! 向こうから勝手に来るんです! むしろこっちが迷惑してますよ!」
「いやいや、結構楽しいから気にすることでもない。それにしても……」
そこで左近の言葉が止まった。
その後の言葉が何なのか気になって、左近を見た。
「俺とあんたって似てますかね?」
握り拳で殴った。
本当に誰が似てるって言い出したんだよ! (それが自分だとも気が付かずに暴れる心)