「呂蒙殿、お手合わせ願えませんか」
「先日孫策殿と陸孫の二人としていただろう」
「私は呂蒙殿と手合わせをしたかったのに、通りかかったお二方に譲られたんじゃないですか」
「そうだったか?」
「そうでした」
その孫策様と陸孫は孫権様や周瑜様達と城を空けているから、呂蒙殿と手合わせするのは今しかないと意気込んできた。
「お願いしますよー、じゃないと腕が鈍っちゃいますよ」
少しでも上司である呂蒙殿の力になりたい。
ただそれだけを思って力と技術を求めてきた。
その心はこの先もきっと変わらないだろう。
ふと、空を見上げた。
青い空が――。
黒くなる。
呆然とその空を見つめるばかりで。
無意識の内に呂蒙殿の服の裾を握り締めていたことなどに気が付かず。
空が黒くなるのを見ていたのだった。
「なに、ここ?」
村、か?
村なのか?
気が付いたら、良くわからない所で地べたに座り込んでいた。
一緒に居たはずの呂蒙殿が居ない。
頭がくらくらする。
痛い。
芯のほうからぼんやりとしていて、自分がどうしたいのか、考えられない。
頭を抱えてうずくまった。
額に、腕に、砂がつく。
聞き慣れた音がして、ゆっくりと顔を上げる。
慎重に周りを見渡せば、建物の向こうの道を早足に行く人々がいる。
しかしその手には決まって剣を持っている。
先程聞いた音は戦の音だった。
自分の剣はあるかと腰に手を当てる。
ある、無事だ。
ほっと息をついた。
「こんな所でどうしたんです?」
突然かけられた声に驚いて振り向く。
大男がいた。
その男の顔は丁度逆光になってしまってよく見えないが、肩に担いでいる太刀はかなりの幅と長さがある。
一撃一撃が重いのだろう、しゃがんだままでは分が悪い。
そう思ったのに、目の前の大男の雰囲気が誰かに似ている気がした。
つい先ほどまで一緒に居た――。
「……りょもう、どの?」
するりと出た言葉に、自分でも驚いた。
慌てて口を押さえて相手の反応を見た
大男は悩んだ素振りがした、気がする。
呂蒙殿じゃない?
先程気になった通りから、馬に乗った人物がやってくる。
両手に見慣れたような武器を持っている。
敵、か。
とっさに手が剣の柄へと動いた。
大男がその人物を振り返ると、大男の横顔が、馬に乗った人物が、見えた。
「左近。どうしたんだ」
「孫策様!」
孫策様が大男のだと思う名を呼んだのと、私が孫策様の名を呼んだのが重なった。 見慣れた武器なのは当たり前だ。
その武器で良く稽古を付けてもらっていたのだから。
しかしここは見慣れない土地、知らない人物だって目の前に居た。
もしかしたらあの太刀が振り下ろされていたかも知れない。
うまくその一撃を避けれたとしても、逃げ切ることは出来なかっただろう。
ここがどこだか分からない私より、大男のが道を知っているだろうから簡単に掴まってしまう。
上手く立ち回ったとしても力押しは効かないだろうし、あんな太刀を受け止めることは出来なかっただろう。
恐ろしい。
そう思った。
そんな中で知っている人物と会えたことがどれほど嬉しかったことか。
「おぉ! 、無事だったか!」
馬から飛び降りて孫策は両手を広げて喜ぶ。
勢いでそのまま孫策に飛び込んだ。
「はい、孫策様もご無事で何よりです」
「そうか、それはよかった。すぐそこに周瑜もいるんだぜ」
嬉しそうに話すその声に、知った名前に、ほっとした。
「それで早速なんだが……」
「はい?」
肩をつかまれて、顔を正面から見つめられる。
「一緒に暴れないか」
反論は許されない、孫策の相も変らぬ強い瞳を、見た。
* * * * * * * * * *
急いで山道を駆け上がる。
孫策様も人が悪い。
いや、悪いというか、人使いが荒いというか。
『向こうの道から行ける砦から敵の援軍が来るらしい。止めて来てくれるか』
会って突然、何を言われているのか少し戸惑った。
それでも断れるはずも無く、土地勘の無い山道をひたすら走っていた。
と、そこにこちらの姿を確認して浮足立った団体を見つけた。
これから援軍を呼ぼうとしていたのだろうか。考えながら、剣を構えて突撃した。
島津何とかという武将が名乗り出た。
とても守りが堅く、目立った傷を与えられていないことに暫く剣を合わせてから気がついた。
思わず舌打ちをして更に剣を振るうが、結果は変わらない。
視界の端から何かが飛び込んできた。
太刀を持った大男が島津に斬りかかったのだ。
怯んだ隙に再び攻め立るが、やはり変わらない。
しかし大男が共に攻め立て始めてから、ようやくこちらが押していると実感できた。
なるべく大男の攻撃が当たる様、島津の注意を引き付けて……おきたかったのだが、無理だったようだ。
気がつけば島津は大男にばかり気を取られていた。
一か八か。
剣の柄で島津の首の後ろを叩いて昏倒させた。
腕で目にかかる汗を拭う。
ふと、大男と目が合った。
にやりと笑って口を開く。
「きれいな顔してやるじゃないですか」
「…………は?」
口が開いてしまっていたことに暫く気がつかなかった。
大男は島津の手にあった武器を少し離れた所に放り投げた。
そして口笛を吹き馬を呼んで飛び乗った。
手綱を操って近くまで来た時には、やっと自分を取り戻すことが出来ていた。
「何言ってるんですか、あなたは」
「ずいぶん時間がかかりましたね。そんなことよりそろそろ引き返しますよ」
置いて来た工作隊が心配だ。
そう大男は続けた。
また呆気に取られてしまう。
確かここに来る前にこの大男は「俺の軍略を見せるとしますか」などと言っていたはずだ。
しかし先程告げた言葉からするに、その策よりも援軍の呼び込みを阻止させるためだけに来たのか。
「ちょっと失礼」
何が? と思う間も無く、腕と腰を掴まれて馬上に引き上げられた。
一気に視線が高くなったことに驚いていると「しっかり掴まってて下さい」と耳元で声がした。
けれどそれよりも驚いたのは馬が足を上げていななき、すごい勢いで走り始めたことだ。
不安定な横抱きのまま乗せられていたので慌てて何かに掴まろうと腕を伸ばす。
必然的に大男の胸に、腰に手を回してしまう。
大男は抱きつかれてることを物ともせず馬を走らせ続けている。
何だかすごく腹が立った。
「なんだってこの馬に乗せたんですか!?」
「小覇王があんたのことを気にしてたんでね。どんな感じなのか、ちょいと様子を見たついでだ」
「走れますから降ろしてくださいよ!」
「だめだ。寄り道したせいで人を待たせちまってるんでね。早いとこ行かないとな」
一つも話を聞いてくれない。
何なんだ、こいつは。
誰だよ、最初に呂蒙殿と見間違えたやつは!
全くもって似てないじゃないか!
心の中でひたすら悪口を考える。
そういえば。
顔を上げて、正面から見た。
今はじめて、顔をきちんと見ている気がする。
正面から向かって右側に傷がある。
思ったよりも厳しそうな顔だ。
「名前、は?」
突然人の所に入ってくるから、それを防ぐことばかり考えていた。
だからこの人の名前を知らないことにようやく気がついた。
「島左近。左近でいいですよ」
厳しそうで意思が強い瞳と、きっと驚いている私の瞳が合った。
ああ、やっぱり違う。
呂蒙殿はもう少し優しい瞳をしている。
何で間違えてしまったんだろう。
……今、どこに居るんでしょう、呂蒙殿。